経営を科学する。3つの「エム」で支える、企業の伴走者『エムサポーティングオフィス 代表 島浦 誠さん』

理系出身の元銀行員の島浦誠さん。早岐に拠点を構える「エムサポーティングオフィス」の代表である彼は、一見穏やかな紳士だが、その思考回路は「科学的」かつ「情熱的」だ。

目に見えない「経営者の想い」を独自の視点で分析し、ビジネスモデルという「設計図」に落とし込む。その手法は、かつて研究室で酵素を抽出していた手つきと、約30年の銀行員時代にさまざまな現場で培った「数字と人の間に立つ力」が融合して生まれたものだった。

早岐のまちで、ビジネスの新しい循環を生み出そうとする、異色のコンサルタントの半生に迫る。

濃密なる子ども時代と熱狂のソフトボール

島浦さんは、子ども時代を佐世保市南部の十郎新町で過ごした。高度経済成長期の面影を残す新興住宅団地。そこで過ごした幼少期は、現代とは少し違う「濃密な社会」の中にあった。

「とにかく子供が多かったんですよ。近所の同級生はもちろん、上級生も下級生も入り乱れて、みんな集団で遊んでいました。そこには子供なりのルールがあって、社会があったんです」

野球や独楽(こま)回し、山の中への探検。中でも独楽回しは真剣勝負だった。

「職人技のように横から投げつけて、カチンと当てて相手の独楽を弾き飛ばすんです。性格が出ますよね(笑)」

遊びの中で揉め事が起きれば、喧嘩もする。しかし、そこには必ず仲裁に入る「頼れるお兄ちゃん」がいた。教科書では学べない人間関係の機微や、組織におけるリーダーシップの原型を、島浦少年は子ども時代の集団活動の中で肌感覚として学んでいった。

小学校の途中からは、住まいを十郎新町に隣接する天神町へと移す。校区内は児童数が急増していた時代で、小学校は1学年7クラスもあった。その当時少年たちを魅了していたのはソフトボールだった。

「学校の校区対抗の大会があって、自分たちの意地と名誉をかけて競い合うんです。朝、学校に行く前に練習をしたり、放課後も白球を追う。日が暮れて、ボールが見えなくなるまで追い続けました」

チームプレーの中で自分の役割を果たすこと。目標に向かって泥臭く練習すること。そして、個の力だけでは勝てないことを知ること。

「私の基礎体力と精神力、さらに『個ではなくチームで動く』という感覚は、この時期のソフトボールで作られたかもしれませんね」

幼少期に培われた「人との繋がり」を大切にする感性は、後の銀行員生活、そして現在のコンサルティング業務における「伴走支援」のベースとなっている。

器具から手作りする世界 ― ミクロへの執念

高校では理数科に進み、進路選択の岐路に立つ。周囲からは「経済学部に向いているのでは?」と勧められたが、島浦さんが選んだのは長崎大学水産学部だった。

「理屈っぽい性格だったからでしょうか。曖昧なことよりも、事実に基づいて答えを出す世界に惹かれたんです」

大学で専攻したのは、魚の筋肉に含まれる「酵素(プロテアーゼ)」の研究だった。それは、目に見えないミクロの世界での戦いだった。

タンパク質を分解する酵素を抽出し、その性質を調べる。実験は繊細さを極めた。

「実験をするための道具から、まず自分で作らなければならない世界だったんです」

実験をする際に少量の検体に対応する器具(カラム)がなかったため、島浦さんは自らガラス細工を行い、必要な実験器具を手作りすることもあった。

「目的のために必要な環境そのものを自分で作る。そして、仮説を立て、実験し、データという『事実』に基づいて検証する。基礎研究をはじめ多くの研究は、本当に地道で小さなところから研究が始まる。実験に取り組む時に最も大事なことは、自分のやっていることの意味を明確に理解しておくことでした。研究者として身を立てていくことも一時は考えていましたよ。この時の『科学する姿勢』は、今の仕事にも通じています」

ビジネスの世界も同じだ。売上が上がらない原因はどこにあるのか。思い込みや勘で動くのではなく、現状を分解し、ボトルネックを抽出し、仮説と検証を繰り返す。

かつて試験管を見つめていた鋭い眼差しは今、経営者の取り組む「ビジネスモデル」に向けられている。

「なぜ?」を問い続けた修業の場

大学卒業後、周囲の勧めで地元・長崎の地方銀行に入行する。しかし、ここでも島浦さんの「理系脳」は異彩を放った。先輩からの指示で「とりあえずやれ」と言われても、どうしても「なぜそれをやる必要があるんですか?」と問い返してしまう。

「納得しないと動けない、扱いにくい新人だったと思いますよ」

時代は、まだデジタル化が進む前の「人間機械」の時代だ。膨大な伝票をそろばんで集計し、勘定を合わせる。少しでもミスがあれば帰れない。

規定集(マニュアル)に基づき、あらゆるケースに対応した書類を正確に作成する。地道な業務の積み重ねの中で、島浦さんは徐々に金融機関の現場を理解していった。

窓口業務から融資の現場へ。目の前にいる経営者たちの悩みや想いに直接触れる日々が始まった。

辛かったのはバブル崩壊後の激動期だった。

銀行は「貸したくても貸せない」という苦渋の決断を迫られる場面も増えていった。不動産価値の下落、企業の倒産。数字という冷徹な事実と、目の前にいる経営者の熱い想い。その板挟みの中で、島浦さんは「金融の現実」と向き合い続けた。

「営業成績はすぐに上がるわけでもない。地道な信頼の積み重ねしかない中で、自分のやっていることが空回りしているように感じる時期もありました」

水を得た魚

しかし、転機は訪れる。調査部門への配属だ。マーケット分析や産業調査業務。

ここで初めて、島浦さんは「自分の進む道」を見出した。理系的な分析思考が活きる場所。データに基づいて仮説を立て、検証し、経済の動きを読み解いていく。

大学時代に研究室で培った「科学する姿勢」は、ここで花開いた。

その後、九州経済調査協会(シンクタンク)への出向では「九州経済白書」の執筆にも携わり、マクロな経済分析の力を磨いた。さらに、地元の公立大学大学院に進み、マーケティング論の学位を取得。そして、中小企業大学校での1年間の東京研修を経て、中小企業診断士資格を取得した。

調査部門で道を見出した島浦さんは、その後、出向先での経済情報誌の立ち上げに携わる。企画から編集まで、企業トップへのインタビュー新企画も担当した。

経営者は、情熱の塊だ。彼らの口から溢れ出る言葉は、熱いがゆえに抽象的になることもある。島浦さんの役割は、その膨大な「想い」から核となるメッセージを抽出し、論理的な文章に落とし込むこと。

「企画から取材、編集、構成、原稿の執筆まで、一貫して担当してきました。経営者の本当に言いたいことは何なのか。それを社会に伝えるにはどう表現すればいいのか。相手の懐に飛び込み、本音を引き出し、形にする」

この経験は、現在のコンサルティングにおける「想いの言語化」というスキルを磨いていった。

約30年の銀行員生活を通じて、島浦さんは「経営者を多角的に支える力」を身につけた。「ミクロな酵素の抽出」から「企業の想いの抽出」へ。

対象は変われど、島浦さんの「成分を見極める目」は、さまざまな現場を経験することでより洗練されていった。

独立・「エム」に込めた3つの哲学

50代後半、島浦さんは銀行を早期退職し、佐世保市産業支援センターへ活躍の場を移す。そこでは「審査する側」から「応援する側」へ完全にスタンスを変え、7年半にわたり創業支援や学生向けビジネスプランコンテストの立ち上げに奔走した。

そして2023年10月。産業支援センター退職後、満を持して「エムサポーティングオフィス」を開業した。

早岐支所のすぐ近くに構えた事務所は、壁に奥様のキルト作品の飾られた温かな空間だ。

屋号の「エム」には、島浦さんがビジネスにおいて不可欠だと考える3つの要素が込められている。

一つ目は、Marketing(マーケティング)。市場を知り、誰に何を届けるかを定めること。客観的なデータに基づき、顧客のニーズを捉える科学的な視点だ。

二つ目は、Model(ビジネスモデル)。どのように価値を提供し、利益を生み出すかという仕組み。島浦さんが得意とする「ビジネスモデルキャンバス」を用い、事業の全体像を可視化する設計図だ。

そして三つ目は、Mind(マインド)。経営者の理念や想い、情熱だ。島浦さんの最も大切にしているのは、この要素である。

「熱い想い(Mind)だけで突き進んでも、ビジネスは成果につながりにくい。逆に、論理的なビジネスモデル(Model)やマーケティング(Marketing)だけが整っていても、そこに魂(Mind)が入っていなければ、人は感動しないし、支持されない」

銀行員時代、島浦さんは常に数字を追いかける日々だった。しかし、数字を目標にすると、どうしても息苦しくなる。

「数字は目標でなく手段であり、理念を目標にした方がハッピーですよね」

かつて試験管で酵素を抽出した科学者の目で「仕組み」を整え、銀行のさまざまな現場で培った経験で「想い」を言語化する。3つのMのバランスを整えることが、島浦さんの役割だ。

早岐から化学反応を

現在、エムサポーティングオフィスには、創業を目指す若者から、第二創業を模索するベテラン経営者まで、さまざまな相談が寄せられている。2025年にはITコーディネータの資格も取得。アナログな業務の効率化やDX支援にも力を入れるが、島浦さんの視点は常に「ツール導入」の先にある「人の幸せ」に向いている。

「早岐は発展途上で、主体的に動くプレイヤーも多く存在している。地域で尽力されている事業者の方々を繋いで、新しい化学反応を起こしたい。その触媒になれればと思っています」

数字を追うだけの冷徹な経営ではなく、体温のあるビジネスを。早岐のまちに根を張った「企業の伴走者」は、静かな情熱で、地域の挑戦者たちを支え続けている。

取材・執筆 出口やえの