
佐世保市を拠点に、遺品整理から産業廃棄物の回収、引っ越し、さらには草刈りまで幅広く住まいの”困った”を丸ごと引き受ける「株式会社笑心一(エコイチ)」。 ホームページのトップには、「なんだか頼れるゴミ屋さん」という、少し変わったキャッチコピーが掲げられている。
「『なんでも』じゃないんです。『なんだか頼れる』が自分らしいかな」
そう語るのは、代表の前田忠信(まえだ ただのぶ)さん(46歳)(※取材時)。 自らを「飽き性」と呼ぶその目はまるで、悪戯を企む少年のように輝いている。過酷なゴミ屋敷の現場さえも「面白い」と言い切るポジティブなエネルギー。
その根底には、人生を遊び尽くすための、あるシンプルな“問いかけ”があった。
なぜ彼は「なんだか頼れる」存在を目指すのか。困りごとを笑顔に変える男の、ちょっとユニークで熱い道のりを追った。
釣具屋の少年と、奇跡の高校卒業

前田さんは、南風崎(はえのさき)出身で、実家は釣具店を営んでいた。
「親父は西肥バスの運転手をしながら店もやっていて、いつ寝ているのか分からなかった。母親も真珠の加工場で働きながら店を手伝って。うちは365日、家族全員が働いているのが当たり前でした」
働くことは生活の一部であり、商売の基礎は幼い頃から体に染み付いていた。前田さんも小学校の高学年になると、朝4時に起きて店番に立った。
「釣り客って朝が早いんですよ。週末は朝の7時、8時まで手伝って、それから遊ぶ。そんな子ども時代でしたね」

一方で、学校生活では「勉強はからっきしだが、スポーツ万能」というキャラクターだった。 野球、ソフトボール、バスケ、バレー、サッカーと、何をやらせても人並み以上にできた。
「体育の時間だけはヒーロー」だったが、彼には致命的な弱点があった。それは極度の“飽き性”であることだ。
「基礎練習が嫌いなんですよ(笑)。見よう見まねでなんでもできてしまうから、コツコツ積み上げるのが苦手で。すぐに飽きて『次はこっち』って目移りする」
高校時代はサッカーのクラブチームに入っていたが、彼女と登下校をしたいという甘酸っぱい理由で退団したそうだ。とにかく好きなことにはまっすぐな性格である。
北海道へ、接客の極意を学ぶ

高校卒業後、ハウステンボスのホテル勤務などを経て、22歳の時に転機が訪れる。 「北海道へ嫁探しに行く」 そう宣言し、友人を頼って北の大地へ旅立った。
「嫁探しは冗談半分でしたけど(笑)、とにかく外の世界を見たかった。向こうでは居酒屋で働きました。最初はアルバイトだったんですけど、1年目で店長を任されることになって」
しかし、そこで待っていたのは、ただの居酒屋仕事ではなかった。店のマネージャーは、ホテル上がりの厳しい人物。彼から徹底的に叩き込まれたのが、「観察眼」だった。
「『箸の動きを見ろ』って言われるんです。利き腕を見て配膳を考える。グラスが空く前に気づくのは当たり前。お客さんが箸をどう動かしたか、視線をどこに向けたか。そのちょっとした仕草で、何を求めているか察知しろと」

厳しい指導の中、前田さんは「人の心を推し量る」技術を磨いていった。
「お客さんが悩んでいるのか、楽しんでいるのか。言葉にされない要望を先回りして満たす。そこで鍛えられた『察知能力』が、実は今の仕事にめちゃくちゃ生きているんです」
現在の仕事である遺品整理やゴミ屋敷の清掃は、ただ物を捨てるだけではない。依頼主は、家族を亡くした悲しみの中にいたり、片付けられない自分を責めていたりする。
「お客様が言葉にできない不安を感じ取って、『大丈夫ですよ』と安心させる。ゴミの出し方で迷っていたら、先に『こうしましょうか』と提案する。北海道で学んだホスピタリティがなければ、ただの作業員で終わっていたと思います」
「ゴミは宝の山」衝撃の現場体験

24歳で佐世保に帰郷した前田さんは、父親の紹介で廃棄物処理の会社(縣北衛生社)へ入社する。そこで配属された現場が、彼にとっての「天職」への扉を開いた。場所は、米軍基地内、日本の中のアメリカだ。
「衝撃でしたよ。まだ使える家具も、ピカピカの靴も、彼らにとってはただのゴミ。分別もしないでどんどん捨てるんです」
ある時、捨てられたズボンのポケットから小銭がジャラジャラと出てきたこともあった。家具の隙間から、日本では考えられないような物が次々と見つかる。
「これ、集めて売って生活できるじゃんって思いましたよ。僕にとっては毎日が『宝探し』みたいで。今日は何が出るんだろうってワクワクしたんです」
もちろん、過酷な現場もあった。しかし、飽き性な前田さんにとって、毎日違う物が捨てられ、違う発見があるその現場は、決して飽きることのないエンターテインメントだった。
「なんでも屋」ではない。「なんだか頼れる」の真意

その後、28歳で一度この業界を離れ、不動産業界に身を置いた時期がある。しかし、ここでの2年間は彼にとって苦痛の日々だった。
自分には合わない、そう悟った前田さんは、不動産業を辞め、以前の職場(縣北衛生社)の先輩が独立して立ち上げた会社へ入社し、再び「現場」へ戻ってきた。
水を得た魚のように働いた前田さんは、先輩の下で4年間、顧客ゼロから開拓し、個人で年間2,000万円〜3,000万円を売り上げるまでになった。
「この仕事は天職だ」と確信し、平成28年、満を持して独立。「株式会社笑心一」を設立した。

独立10期目を迎える今、彼がこだわるのが冒頭の「なんだか頼れる」という言葉だ。
「僕らが目指しているのは、『何屋さんかわからないけど、前田さんに電話すれば“なんだか”解決してくれる』という存在。お客様の困りごとをヒアリングして、ゴミ回収だけでなく『引っ越しもしますよ』『草刈りもしときますよ』って、その人のために動く」
この「なんだか」という言葉には、柔らかさの中に、逃げ道を作らないプロの覚悟が込められている。そして、過酷な現場さえも「ネタ」にしてしまう強靭なメンタル。

印象に残っている現場を尋ねると、前田さんはあるゴミ屋敷のエピソードを教えてくれた。
「ゴミがミルフィーユのように層状になってるんです。ゴミの層を掘っていくと、住んでいた人たちの生活が見えてくる。『ここで寝てたんだな』とか『こんなもの食べてたんだ』とか。スタッフと『すげえなこれ!』って言いながら、夜通し片付けました」
普通なら目を背けたくなるような光景も、前田さんにかかれば「ドラマ」になる。
「終わった後の達成感は格別ですよ。お客さんからも感謝されるし、スタッフとの絆も深まる。やっぱり面白いんです」
「楽しいか?」が最強のチームを作る

社名「笑心一」には「笑う心」という文字が入っている。前田さんがスタッフとのコミュニケーションで常に投げかける言葉、それは「楽しいか?」だ。
「楽しくないと続かないじゃないですか。サッカーも仕事も一緒。子どもにも『勉強しろ』とは言わないけど、『楽しいか?』とは聞きます。楽しければ、人は勝手に吸収して成長するんです」
この「楽しさ」を軸にしたチーム作りには、前田さんのある成功体験が生きている。それは、30代の頃に立ち上げたフットサルチームの話だ。
「30代前半までサッカーをやっていたんですが、社会人になってフットサルチームを作ったんです。とにかくメンバーに自由に、楽しんでもらうことを優先しました。そうしたら、自然と良いメンバーが集まってきて、気づけば長崎県リーグで4連覇するほどのチームになったんです」
ピッチ全体を見渡し、周りを活かしながら自分も動く。まさに「万能プレイヤー」としての資質が、組織作りにも発揮された瞬間だった。そのフットサルでの経験が、今の経営スタイルそのものになっている。」

だからこそ、前田さんは従業員が「楽しく働ける環境」を整えることに全力を注ぐ。
「僕自身が現場で体を壊すほど働いたり、理不尽な思いをした経験があるからこそ、スタッフには同じ思いをさせたくない。残業はさせないし、週休二日で、休みもちゃんと取る。有給休暇も全部消化してもらいます。もし人が足りなくて現場が回らない時は、僕が現場に出て対応すれば済むことですから」
無理な働き方は長続きしない。スタッフが笑顔で働けるからこそ、お客様にも良いサービスができる。それが前田さんの信念だ。
スタッフへの指示も、「地蔵になるな」の一言だけ。
「黙って指示を待つんじゃなくて、自分で考えて、喋りながら動けと。楽しんでやれば、自然と体も頭も動くようになるんです」
現在、20代から40代のスタッフ4名が在籍。前田さんの「飽き性だけど頼れる」背中を見て育った彼らは、フットサルチームのように阿吽の呼吸で現場を回している。
地域の困りごとが僕らの仕事

前田さんは今、新たなサービスも構想中だ。それが高齢者向けの「ゴミ出し代行」。
きっかけは、自身の経験だった。身近な高齢者が、ゴミステーションまでゴミを出しに行く途中で転倒し、骨折してしまったのだ。
「お年寄りにとって、ゴミ出しは重労働だし危険も伴う。『今日はおばあちゃん元気かな』って声をかける。そんなサービスがあれば、離れて暮らす家族も安心できると思うんです」
法令の壁など課題はあるが、前田さんは諦めていない。
「なんだか頼れる」――その言葉の通り、彼は地域の「困った」を笑顔に変え続けている。
「だって、楽しい方がいいでしょ? 人生も仕事も」
そう言って笑う前田さんの周りには、今日も「笑う心」が溢れていた。
取材・文 出口やえの