“アイデアマン”社長が仕掛けた、事業再生のロジック『株式会社大和製菓 代表 吉川重光さん』

佐世保市民のソウルフード、かわいいお侍さん「やまとくん」がプリントされた「やまとの味カレー」。その製造元である大和製菓の3代目社長、吉川重光(よしかわ しげみつ)さんは、インタビューの冒頭、子供の頃について尋ねると、悪戯っぽい笑みを浮かべてこう言い放った。

「運動も勉強も人並みになんでもできた。僕は要領がよかったんですよ(笑)」

自らを「アイデアマン」と呼ぶ、その軽妙な語り口。しかし、そのチャーミングな笑顔の裏には、24歳で倒産寸前の家業を継ぎ、約6億円もの負債を抱えた会社を家族と共に守り抜いた、汗まみれの物語があった。

3歳からの刷り込みと、要領の良さ

「昔から要領は良かったんですよ」

吉川さんは楽しそうに学生時代を振り返る。進学した東京理科大学では、授業中はほとんど寝ていたという。それでも留年せずに卒業できたのには、ある”才能”があった。

「東大の大学院に行くような本当に優秀な友人を見つけて問題を解いてもらうんです。僕はそれをコピーさせてもらう。そういうところは、昔から『ずる賢い』というか、人を頼るのが上手だったんでしょうね」

そんな吉川さんが家業を継ぐことを意識したのは、3歳の頃だった。「あんたは跡取りやけん」と祖母(創業者の妻)から毎日のように刷り込まれて育った。2代目の父からは直接言われなかったが、大学卒業時に「時間がないから早く帰ってこい」と告げられた際も、逃げるという選択肢はなかったという。

「3歳から言われてたんで、それ以外の人生とは考えられなかったんです。逃げられないというか」

父の切迫した「時間がない」という言葉。その真意を知るのは、もう少し後のことになる。

深夜まで働いた修業時代

大学卒業後、すぐに家業に入ったわけではない。「修行してこい」と言われ、最初に就職したのはディスカウントストア。配属された関東の店舗で待っていたのは、想像を絶する日々だった。

「本当に厳しかったですね。朝早くから夜遅くまで働いて。ほぼ休みなしという感じでした。同期が5人いたんですけど、1週間で辞めるやつもいました」

まさに「地獄」のような環境。しかし、ここで吉川さんの持ち前の「愛嬌」が発揮される。

「きつかったですけど、僕は元来要領がいいんで(笑)。めちゃくちゃ厳しい店長にも気に入られて、可愛がってもらいましたよ」

その後、大阪の菓子問屋で1年間流通の仕組みを学び、満を持して24歳で故郷・佐世保へ戻った。最初に任されたのは、当時あった諫早支店での勤務だった。しかし、ここでも「社長の息子」という立場ゆえの壁にぶつかる。

「生意気だと思われてましたね。大阪で勉強してきたことを支店長に口出しすると、『お前はわかっとらん』と返される。腫れ物に触るような扱いで、悔しい思いもしました」

外の世界で揉まれ、身につけた根性と商売勘。それが試される時が、すぐそこに迫っていた。

6億円の借金と、従業員を守る決断

「帰ってきたら、親父が『来月の給料が払えん』って頭を抱えているんです。資金ショートまであと3ヶ月、借金は6億とも7億とも言われていました」

思えば大学生の頃、父から「保証契約書」が送られてきたことがあった。20歳にして、借金の連帯保証人になっていたのだ。当時はその意味の重さを理解していなかったが、父が言った「時間がない」という言葉の背景には、膨れ上がった借金を何とか抑えなければならないという差し迫った事情があった。

当時の主力事業は「菓子問屋」。しかし、時代の変化で赤字が膨らみ続けていた。従業員に渡す給料や月々の支払いで精一杯の状況。

「このままでは家族ごと共倒れする」。吉川さんは帰郷早々、大きな決断を迫られる。

それは、祖父の代から続いた「問屋部門」をライバル企業へ売却することだった。

「プライドなんて関係ありませんでした。条件は金額ではなく、100名近くいた従業員の雇用を守ること。問屋部門さえ切り離せば、細々とやっていた製造部門(味カレー)だけが残る。規模は小さくなりますが、それで生き残るしかないと腹を括りました」

1万円のテントから始まった直売所
佐世保市大和町にある直売所

問屋業を手放し、製造業一本に絞った大和製菓。しかし、残った工場は老朽化が進んでいた。企業が視察に訪れるも工場を見た瞬間踵を返して帰ってしまうほどだった。そんな八方塞がりの状況で、吉川さんの直感が閃く。

「設備投資する金もない。そこで思いついたのが『工場直売』でした。お祭りの販売みたいに、テントで売ればお客さんは、(老朽化した)工場の中までは見ないでしょう?(笑)」

ホームセンターで1万円のテントを買い、食品団地の工場の前でお菓子を売り始めた。一見、なりふり構わない泥臭い行動だが、そこには吉川さんらしい計算もあった。

「問屋を通さない直売なら、多少安く売っても利益は残るんです。1日で10万円の利益が出れば、月に300万円。これなら借金を返せる」

その読みは的中した。家族総出でトラックに乗り込み、ありとあらゆるイベントに出店した。早岐茶市、愛宕祭り、させぼシーサイドフェスティバル。遠くは山口県まで、正月以外は一年中休みなしで行商を続けた。

「本当に売れるのかなと疑ったんですけどね。でも、対面で販売したら、いろいろな商品を選ぶ楽しさもあるようで、お子さんからお年寄りまで喜んで買ってくれました」

ディスカウントストアで働いていた頃に培った体力と根性が、ここで生きた。

そして今では、工場の改装も終わり、企業の視察にも対応し、多くのPB(プライベートブランド)商品を請け負うまでになった。

兄弟で支える「味カレー」のブランド戦略

経営が軌道に乗ってからも、吉川さんの快進撃は止まらない。近年話題の「コラボ戦略」にも、彼らしいユニークな考えがある。

「コラボに関しては『ライセンス料は不要です』と伝えています。無料でどんどん使ってくださいと」

通常なら発生するライセンス料を放棄することで、逆に「味カレー」の露出を増やす。大手商品の棚に「味カレー味」が並ぶことは、何千万円もの広告費をかける以上の価値がある。

「ゴールデンタイムのCM枠を買うのは大変ですけど、コラボなら相手が宣伝してくれる。こっちの方が合理的でしょう?」と吉川さんは笑う。

そんなアイデアマンの兄を支えるのが、常務であり工場長を務める弟の伸一朗さんだ。パッケージのキャラクター「やまとくん」の新しいイラスト制作や、コラボ商品の開発は、実は弟が担っている。

「弟とは性格が正反対で、顔を合わせれば喧嘩ばかり(笑)。だから、弟は工場で製造管理やデザインなどの業務を担当し、私は外に出て営業や意思決定をします。面白そうな案件があれば私が即座に『GO』を出し、弟が形にする。そうやって役割分担をしているんです」

喧嘩しながらも背中を預け合う。そんな人間臭い兄弟の絆が、今の「味カレー」を支えている。

地元に愛されるお菓子であるために
佐世保駅構内にある直売所

かつては全国の流通網だけを見ていた吉川さん。しかし、直売やイベントで直接お客さんと触れ合う中で、心境に変化が生まれた。

「昔は『佐世保の会社』という意識が薄かったんです。でも、直売所でお客さんから『子供の頃から食べてたよ』『懐かしいね』と声をかけてもらうようになって、初めて気づいたんです。味カレーはこんなにも地元に愛されていたんだと」

大和製菓の本社工場があるのは、早岐エリアに近い大塔町。吉川さんは今、早岐地区の集まりにも顔を出している。

「大塔の会社ですけど、早岐の人たちが面白がってくれるなら、私にできることは協力しますよ」

インタビューの最後、将来について尋ねると、吉川さんはまたあのチャーミングな笑顔を見せた。

「自分の子どもには資格の必要な安定した職業を勧めています(笑)。味カレーというブランドさえ残れば、経営者は優秀な誰かに任せればいいんです」

どこまでも合理的で、どこまでも人間臭い。「ふふふ」と笑うその笑顔と、独自の哲学、そしてキレのある経営判断。それこそが、味カレーを60年以上愛される存在にし続けている、門外不出の”スパイス”なのかもしれない。

取材・執筆 出口やえの