
青色の暖簾をくぐると、ふわっと香る甘い匂い。
所狭しと並ぶお菓子たちを見ていると、子どもの頃にお小遣いを握りしめて駄菓子屋に駆け込んだ時のような興奮が押し寄せてきました。
九州で唯一「草加せんべい」を販売するお店であり、長崎の郷土食「かんころ餅」を作るお店であり、約30年前に作るお店がなくなってしまった早岐茶市の名物「ケーラン」を作るお店でもある草加家。

いろんな顔を持ち、現在では早岐の名店と名高い草加家は、“名店”と呼ばれるまでにどのような軌跡をたどってきたのでしょうか。
現在の店主である髙木龍男さんにお話を伺いました。
草加家の由来は草加せんべい!?

草加家の商売のルーツは、龍男さんの祖父母が佐世保市内で果物屋や料理屋を営んでいたところまでさかのぼります。
そして、その家の長男として生まれたのが龍男さんの父。現在に続く草加家の創業者です。
龍男さんのお父さんが家業を継がず、お菓子屋に転身したのには、後に草加家の店名にも関わってくる大きなドラマがあったそうです。
「長男だった私の父は家業を継ぐことを期待されていたんだけど、祖父母がやっていた商売があんまり気に入らなかったみたいなんです。だから、しょっちゅう喧嘩して、何度も家出を繰り返してたんだとか。近くだとすぐ連れ戻されてしまうからと、最後は関東まで流れ着いたと聞いています」
「関東まで行ったのはいいものの、身寄りがなかった父は住み込みで働かせてくれる場所を探しました。その内にたどり着いたのが、江戸時代を起源に持つ埼玉の名物・草加せんべいを扱うせんべい屋だったんです。修行の日々を経て、経営の知識があった父は自分で店舗を持てるレベルまで成長していました。地元・佐世保に戻り、修行していた草加せんべいから名前を取って『草加家』を立ち上げるまでに至りました」

いくつもの偶然が重なり生まれた草加家。
龍男さんも父と同じように、子どもの頃は家業を継ぐことは考えていなかったそうです。
「子どもの頃に家業を素晴らしいと思える人の方が少ないんじゃないかな。私もその一人で、『お菓子屋さんなんて誰の役に立っているんだろう』と生意気なことを考えていました。それよりもっと人のためになる仕事をやりたい。子どもが好きだから、子どもたちが喜んでくれるような絵本作家になりたいと思っていたんです」
今では早岐の名店と名高い草加家ですが、そのルーツは埼玉の草加せんべいにあったというから驚きです。
そんな草加家と龍男さんの人生はどのように交わっていくのでしょうか。
作家からお菓子屋へ、家業を継ぐという選択

絵本作家になりたい。そんな夢を抱いていた龍男さんは、大学進学を機に東京へ上京しました。
「大学では童話の勉強などをしていました。作家になるならこのまま東京にいたいなと思って、とりあえず家に届いていたたくさんのリクルート雑誌をぱらぱら〜ピッてしたんです(笑)。それで就職を決めたのがたまたまおもちゃメーカーである現在のエポック社でした」
「会社ではジグソーパズル部門の配属を希望しました。しかし、東京にいたかったから就職したのに、大阪に行くことになりました。小さな営業所だったので、営業や企画など、商品を売るための販促を一から学びました」
営業のテリトリーが広く、関西を飛び回っていたという龍男さん。
そのなかでも面白さを感じた京都に移り住んだそうですが、やがて地元に戻ることになるターニングポイントが訪れます。

「経験を積んでそろそろ東京に戻れるかなと思っていたところで、会社から『九州に営業所をつくるからそっちに行かないか』と打診されたんです。東京からさらに離れるじゃないか!と思いましたね。その当時はテレビゲームが普及してきておもちゃ業界も大きく変化していたので、いったん戻るのもありかなと思って九州へ帰ることを決めました」
「九州へ帰ることになってふと家業に目をやると、モノはいいのにまったく売りきれていない、そんな現状を目の当たりにしました。会社で販促を勉強していたこともあって、じゃあちょっとやってみようと思って手伝うようになったんです。それがなんとなく続いて、気づけば35年くらい経ってしまったってわけです(笑)」
忙しさに流されるまま家業を継ぐことに。
この判断は草加家と龍男さん自身にたくさんの変化をもたらしていくことになります。
探求は人のためならず

モノは良いのに売上に繋がっていなかった草加家。
そこに龍男さんの探求心がもたらされたことで、お店の流れは大きく変わっていきました。
「子どもの頃は『お菓子作りを一生懸命やったところで、誰の幸せにもならないだろう』と思っていました。しかし、草加家の販促を通じて、お菓子作りはさまざまな地域課題と繋がっていることに気づいたんです」
龍男さんに大きなきっかけを与えたのは、長崎の特産品であるかんころ餅でした。

草加家でも長年愛されている看板商品ですが、ある時、原料である干し芋にブルーシートや金たわしが混ざるようになったことがあるそうです。
「原料の加工処理が大変になった私たちは、原因を探るために自分たちの足で産地・五島に出向きました。かんころ餅は家庭的なおやつなので、島のおじいちゃんおばあちゃんが出荷するのは、家族分を賄ったあとのさつまいもということになります。実際に島で目にしたのは、子どもや孫が島外に出ていき、さつまいもの生産にやりがいを見失い始めていた生産者の姿でした。『やりがいを取り戻して欲しい』と考えた私は、赤ちゃん用の干し芋『おしゃぶりかんころ』を開発しました。その商品を食べている赤ちゃんたちの写真を生産者さんたちに届け、説明したら、徐々にやりがいを再認識してくれて、そのうちまた品質が安定するようになりました」

地域のお菓子屋さんであるということ。
龍男さんは子どもの頃に見出せなかったその意味を、草加家の商品に向き合うことで見つけていったと話します。
「お菓子屋さんといっても、ただ商品を作って売るだけじゃないんですよ。地域の生産者さんがやりがいを感じられるような仕事をして、もちろんお客さんにも笑顔になってもらう。地域で商売をするということは、そんな使命があると思っています」
さらに龍男さんは、早岐という地域にお店を構えるなかで、地域の名物が買えるお店でもありたいと思うようになりました。

そうして復活を遂げたのが、うるち米の餅を棒状にして上質な甘さの小豆こしあんを包んだ「早岐のケーラン」です。
「400年以上の歴史を持つ早岐茶市の名物として知られているケーランですが、実は平成に入る頃には早岐にあった専門店のすべてが閉店し、早岐独特のケーランが姿を消してしまっていたんです。早岐で作られていないのに、茶市にはケーランが並んでいる。年一回早岐茶市を訪れる人たちが『早岐のケーランの味は落ちたね』と話すのを耳にしました。これでは早岐の評判が落ちてしまうと感じ、早岐のお菓子屋さんとしてケーランの復活を試みたんです」
「しかし、その挑戦は思ったほど簡単ではありませんでした。周りのお菓子屋さんに相談しても期待していた反応はなく、とにかく幼少期に食べた自分の味覚を頼りに試行錯誤。約2年の歳月を経て、ついに早岐茶市にケーランを復活することができました」
早岐瀬戸を渡っていたイカダを表した赤い線が引かれた早岐のケーランは、形や大きさこそ現代的になったものの、現在も早岐の名物として街の人に喜ばれています。
佐世保市生まれの龍男さんですが、実は「”早岐のため”にやっている」という感覚はあまり持っていないと話してくれました。
その一方で、飽くなき探求心から湧き出る「誰かのために」という熱量は人一倍。
こうした想いこそが、まわり回ってその地域を動かす原動力になっていくのだと感じました。
その土地の食べものには心を動かす力が眠っている

龍男さんは草加家での販売だけでなく、かんころ文化を伝える講演会や学生が商売について学ぶ機会の提供、特産品のパッケージデザイン、思い出に残る店づくりなど、その探求心と行動力でさまざまな活動を行っています。
「絵本作家になりたいという夢を描いていたけど、大人になって立ち返ると仕事って一個のツールでしかないことに気づきました。たしかにお菓子屋さんだったらお菓子を作ることが仕事だけど、お菓子屋さんらしいことだけをすることが目的ではないんです。むしろ、その地域の人が持つ想いや情熱を想像することが大切なんだよね」
「以前、お店に来られた女性へ出身地の出来立ての干し芋を出したところ、その女性が『故郷のことを思い出して…』と泣き出したことがありました。その姿を見て、かんころ(干し芋)を見ただけで故郷の風景が蘇る力があること、それがどれだけ素晴らしいことかを目の当たりにしたんです。それはかんころ餅だけじゃない。その土地の食べものにはその土地の力が眠っている。単なるお菓子と言われればそうかもしれないけど、地域の特産品を守り続けることは地域を守ることに繋がっていくと信じています」

一番大切なのは、なんでこのお菓子を復活させたいのか、なんでこの活動をやる必要があるのか、その“なぜ”に込められた人の想い。
草加家や龍男さんがつくり出すその想いの輪は、数えきれないほどのエピソードとともに長崎に広がっています。
「これからも笑顔を届けられるお菓子を作り続けたいという想いは変わりません。お菓子屋さんという枠にこだわらず、草加家だからできることを生み出しながら、早岐という地域と共に歩んでいきたいです」
想いが真っすぐに伝わる目で、龍男さんはこれからの草加家の展望について話してくださいました。

草加家の背景をたどっていると、商売というものがいかに地域を支え、人の心を繋ぐ重要な役割を担っているかが伝わってきます。
地域とは、単なる地名で括られるものではなく、人と人との想いが繋がった上に成り立つものなのかもしれません。
早岐の風に揺られる青い暖簾をくぐると、龍男さんの飽くなき探求心が詰まった銘菓がずらりと並んでいます。