楽しさで人を巻き込むらーめん道。『砦グループ』代表 川尻龍二さん

砦の頂に立ち、らーめんの新常識をつくり続ける

佐世保を拠点として、らーめん界に新風を巻き起こした男性がいる。同市万津町にある『らーめん砦』をはじめ、砦グループを全国に展開中の川尻龍二さんだ。

彼が発案した『貝白湯(かいぱいたん)スープ』をベースにした、独創性とバラエティに富んだラーメンの数々はそれぞれにファンがつく。もはや従来のらーめんの域を超え、創作料理に突入していると言ってもいい。

1984年、龍二さんは三川内に生まれる。小学生の頃からソフトボールに励み、小中キャプテンを経験。巨人ファンの両親の熱烈な勧めでしぶしぶ始めた野球は、いつの間にか龍二さんに甲子園の夢を与えるほど大切な存在となっていた。

甲子園への夢を掲げ、野球強豪校の波佐見高校への進学を目指す。十分に推薦合格できるスキルがあったのだが、思わぬアクシデントが起こった。

「秋ぐらいに、女の子と付き合ってたのがバレて推薦取り消し。そっから試験まで3か月ぐらいやったけど猛勉強しまくって合格した」

「マジっすか!すげえ!」と湧く取材現場。男子高校生の休み時間のようなひととき。

長崎新聞の「それゆけイケメン」コーナーにも掲載歴ありの龍二さんは恋多き少年だった(今も?)

野球でやっていくと決めたが、自分が井の中の蛙だったとも思い知った高校時代。龍二さんは、強者たちに阻まれレギュラーの座は泣く泣く逃したものの副キャプテンに就任した。

ポジションは、気がつけば小学生からずっとキャッチャーだった。改めてなぜかと尋ねると、龍二さんはなぜだろうと首をかしげる。

基本的に天邪鬼。群れるのは苦手だけどムードメーカー的な存在だった。試合中、グランドに立つレギュラーメンバーにベンチから惜しみない声援を送っていた。少しおおげさな内容も多かったが心を込めて全力で伝えた。

人の気持ちを高揚させることは大得意だったと龍二さんはニヤッと笑う。

思い通りのポジションにつけなくても、ありのまま全力で楽しむ。「楽しいこと」への嗅覚は少年時代からずっと持ち続けていたに違いない。その匂いを少しでも感じたとき、龍二さんはためらいなく大きな一歩を踏み出すのだ。

そんな龍二さんのもとには、いつも人が集まっていた。

森(インタビュアー)「今でも、みんなが龍ちゃんがやること面白そうって。誰もしたことないことばしよるけん。しかもそれは意図的じゃなくたまたまで。それば面白がってくれて、お客さんがきよる感じ」

佐世保らーめん界のエンターテイナーの素質は、しっかりと備わっていたのだ。

ホスト、整体師、製造業、裏のお仕事etc…
流れ着いたのは「嫌いだった」ラーメンの道

高校卒業後、夢の甲子園の残り香を惜しみつつ就職へ。たまたま出会ったor放り込まれたさまざまな仕事は、ときには龍二さんに酒の限界値を教え胃袋を空っぽにし、お金の大切さを実感させ、重いプレッシャーも与えつつ心身ともに鍛えてくれたそうだ。当時20歳、まだまだ道は定まらない。

次に始めたのは、ふと目についたフリーペーパーの求人広告に載っていた居酒屋のホール接客の仕事。2年間働き、接客の楽しさを覚えてきたころ、あるレストランバーのバーテンダーにならないかとヘッドハンティングされた。

迷わずOKしようとしたそのタイミングだった。両親が営む中華料理店「龍ちゃん亭」の看板が大きく傾き、自己破産してしまったのである。

「らーめん屋だけはやりたくなかった。きついところしか見てなかったから」

日々、身を削りながら働く両親の姿を見て育った彼がそう思うのも無理はない。しかし、当時まだ中学生だった弟と両親を養うため、龍二さんは消費者金融を駆け回り資金を調達した。こうして自己破産からあっという間の期間で「らーめん MARU龍」をオープンさせたのだった。

これまで目を背けてきたらーめん作り。当然、知識も経験もない状態からのスタートだったが、とにかく味に妥協したくなかった。20年間、父親が守ってきたらーめんの味が通用しなくなった今、信じられるものは自分の舌のみ。父親の介入は一切許さない。時に壁を殴るほどの大喧嘩を繰り返しながら、独学で研究と実験を繰り返した。

まだたっぷりとラーメンが残っている丼を見たとき、悔しさとともに敗北感におそわれた。明日はもっと美味しいラーメンを作らなければ。龍二さんの頭の中はラーメンのことでいっぱいになった。

気の遠くなるような時間を味の追求に捧げつつ、お客さんとの楽しいコミュニケーションも忘れない。地道な努力が実ったのか、徐々に客足に手ごたえを感じるようになった。グルメサイトの人気ラーメン店ランキングで見事1位に輝いたことも追い風となった。

『貝白湯』スープ誕生秘話

「ラーメン屋なんか辞めてやる!」。ある日父親と、そんな思いを抱くほどの大喧嘩をした。怒り心頭な龍二さんは、TVで衝撃的なニュースを観る。2011年3月11日の東日本大震災だ。

被災地の状況を伝える映像では、豚骨らーめん店の店主が、物流ストップによる廃業を嘆いていた。自分も、豚骨や鳥ガラを使ったらーめんで生計を立てている。このままでは仕事ができなくなるかもしれない。

家族を守るために、物流に頼らない味を開発しなければ。そこで龍二さんが注目したのが、佐世保市の自慢の海産物。地元素材を活かしたスープを作ろう。さまざまな魚介を試したところ、貝が一番美味しかった。

頭からアイディアをひねり出し、半年間かけての実験が始まった。数々の失敗の末ようやく、前例のない『貝白湯』スープが誕生したのである。

弟が20歳になった。「おいはここから出るけん」。龍二さんをらーめんの道に引きずり込んだ1つのきっかけである彼に「らーめんMARU龍」を託した。

頭の中には次のらーめんが、人生の絵図が出来上がっていた。26歳のときだった。

まだ“万津6区”の愛称もなく、人や店の賑わいも少なかった万津町。佐世保近海や五島の新鮮な海の幸が集う佐世保朝市を目の前に、『らーめん砦』が産声をあげた。そして、長崎・佐世保発の新世代らーめん店として成長を遂げていくのである。

肉、魚介、野菜など地元産の素材を使用したこだわりのらーめんは、思わず写真を撮りたくなるほどのアートなビジュアル。それに加え、貝白湯スープはコシのあるちぢれ麺とよく絡み、一滴残らず飲み干したくなるほどの美味しさだ。

龍二さんのアイディアから生まれた数々の創作らーめんは、この記事を書いているわたしを含め多くの人々を魅了し続けているのである。

「楽しい」で世界も巻き込んでいきたい

オープンから2年、『らーめん砦』の名はらーめん好きの間でじわじわと浸透した。かつて「MARU龍」が1位に輝いたグルメサイトのランキングも追い越した。面目は保たれたな、と胸をなでおろした。

九州をはじめ、東京や大阪などからフランチャイズやプロデュースの依頼も多く寄せられるようになり、現在に至るまでの10年間で17店舗がオープンしている。

「東京ラーメンショー2017」「食べログ2013〜2020 8年連続 長崎県ラーメン部門 NO.1」など、数々の栄誉ある賞も受賞

フランチャイズ化に関して、特に大きな苦労はなかったという龍二さん。「MARU龍はじめたての21、22歳のころに比べればね…」と苦笑い。

「(砦と)同じ味を守るというより、ベースに貝白湯があって、あとは作り手の個性やお店の空気感とかが出る感じがベストかなと」

2019年9月には、直営店となる『らーめん砦 研究所』も登場した。

「らーめんを作ることが好き、だから研究所って名前にした」と龍二さん。その表情は、「らーめん業だけは絶対にやりたくない」と思っていた20歳の龍二さんとは、まったく違うものであるに違いない。

ここでまた新しい味が生まれ、そこからさらに店も生まれる。まさにその名にふさわしい、彼だけの秘密基地なのだ。

今後は、新作らーめんでお客さんを楽しませつつ、プロデュースにも力を入れていきたいという。

「楽しいから、らーめんを作る。『うわ、うま!これどう思うんだろうお客さん』って出してるだけ。別に売るために作ってるわけでもない美味いものを共有してもらいたいのかもしれない。『これどう、美味い?…美味い。よっしゃ!』って」

森「龍ちゃんの次に興味あるものは?」

「店舗を増やすというか、海外に興味がある。金髪のチャンネー抱いてみたい…はっ、フライデーの人だ!」

(カメラマンを見る)

一同笑。

万津町は外国人のお客さんも多いから、いろいろとヒントをもらってる。オーストラリアや、とにかくたくさんの国籍の人々が集まる国でチャレンジしてみたい。イチからリセットするような感覚だけど、世界と闘う。巻き込みたい。あと、仕事はとことんまじめにやる。大事なことは遊びやけん。遊ぶために仕事してんだから! 子ども食わすのは当たり前で、遊びが一番。ゼッタイ大事! 商売と恋愛はよく似てる。恋愛得意は商売上手よ」

佐世保発の創作らーめんはいつの日か世界へ羽ばたく

一気にフィールドが世界へと広がり、名言が次々と飛び出した。「龍ちゃん語録」だ。ちなみに、地元(日本)での今後の動きはどうなのだろう。

「う~ん…。ぶっちゃけ、佐世保に強い思い入れはない!40歳あたりでやり遂げたなぁって思うっちゃないかな。たぶん。けど、何かしら必要だったから佐世保に生まれたんだと思う。俺が東京に必要やったら東京に生まれとるんやろうし。きっと意味があるんやろうって思っとる」

これまで積み重ねてきた道を信じ、そして楽しみながら、龍二さんはまた次のらーめんを世に送り出す。そしてわたしたちは、そんな魅力的な一杯と龍二さんのマインドに惹きつけられ、のれんをくぐってしまうのだ。

「みせ」の記事につきましては、以下をご覧ください。